2016.10.11

頭と直感君     <一日一篇の詩  vol 4>

正しい答えをだそうと思って
膨大な資料とか情報にふれたりするよね
そうして
比較して吟味して
検討して
それでも情報が多すぎて
頭がパンクしそうなとき

胸の奥の方にスイッチを入れて
自分の中の
直感君を発動させる

膨大な情報を
彼の前に差し出してみる

その直感君はね、
「私が師匠だ。私がこの決断の責任を持つ」
とね
自分の前にも後ろにも誰もいなくてね
私を頼りに
私が決断するんだよってね

覚悟を決めると
動き出すんだよ。

感じてみて
胸の奥

すっと
道が見えてくる。

直感君が動くとき
頭のほうは休んでるわけじゃないんだ
方向を指し示す
リーダーを得たみたいに
ただ
有能に機能できるようになるだけなんだ。

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『<一日一篇の詩>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘を見て、COCOに届いた詩 あるいはその日なんとなしに降りてきた詩や言葉を だいたい毎日連載するものです。

2016.10.10

小金湯温泉の大樹    <一日一篇の詩 vol.3>

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優しいんだね
君の下で
小さな魂たちが遊んでいるよ

風が聞こえるね
君の下に
柔らかい
風が通り過ぎる

何が聞こえる?
世界のことが君にも届くの?

君は何を思うの?

あぁ、ただ
許しているのかい?

私たちを
そのままでいいとね
許しているんだね。

 
(写真:小金湯温泉の大樹。昨日撮影)
—————————————-

★許すとはどういうことですか?

 許すとは力を抜くようなものです。
 
 許せないとき、人は硬直しています。
 許すということは、硬直を解きリラックスすることです。
 
 リラックスするだけでいいのかと思うでしょうが、
 勇気をだして力を抜いてみてください。
 実は許しは体の作用と連動しています。
 体の緊張と脱力により、許せなかったものが許しやすくなるでしょう。
 
 つまり許しとは、意思でどうにかなるものではありません。
 意思で許してると考える人もいますが、
 意思ではなく、それも宇宙の働きによるタイミングのなせるところです。
 
 そうして、どうしても許せないものを前に力を抜いていくとき、
 その硬直の下に隠していた悲しみがあふれます。
 涙とともに流されて、隠されていた悲しみが涙になるとき、
 硬直の下にあった、「私」に出会うでしょう。
 
 許すということは、自分になることを許すことです。
 あなたがあなたのままであることを許すことに通じます。
 そのままでいいよというメッセージを受け入れることです。
 
 私たちはさまざまな理由から、自分でいること、自分になることを
 ただただリラックスしてなることを阻害しています。
 許しとは誰かとのあるいは自分以外の何かとの間にある事柄のようでありながら
 実は許すというテーマを抱えた本人の事なのです。

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『<一日一篇の詩>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘を見て、COCOに届いた詩 あるいはその日なんとなしに降りてきた詩や言葉を だいたい毎日連載するものです。                

2016.10.09

永遠を取り戻したくて   <一日一篇の詩  vol.2>

網目のように張り巡らされているもの
目の前のこの子へも
あそこのあの人へも
ここにある小さな花も
あの空も
向こうを飛ぶ鳥にだって

経験という眼鏡が目を覆う
さらにその眼鏡が曇りもして
もう
あの澄んだ空の色が思い出せない。

でも
それでも
あるときふと
そんな網目が消える瞬間がある

それは
「今、ここ」
いまここというものに

ふと座る瞬間が訪れるとき
私たちは
永遠の中にいる

永遠の中でなら
見えなくなってしまったあの空が
どうしょうもなく
広がっているのを見えるだろう

そんなものを取り戻したくて
私たちは
時々とんでもない冒険を
したい衝動に駆られるのかもしれない。

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『<一日一篇の詩>とは?』 これは本日の ホロスコープや数秘を見て、COCOに届いた詩 あるいはその日なんとなしに降りてきた詩を だいたい毎日連載するものです。

2016.10.08

火のないところで煙は立つ     <一日一篇の詩  vol.1> 

こちらは優しさのつもりでいるんだけどね
いつのまにか
相手はこちらを改善することにやっきになっていたりする

こちらは
ぼんやりマイペースなんだけどね
いつのまにか
あいては
やれこれが問題だ
あれが問題だ
こうすれば君は救われるんだといわんばかりに
右往左往
七転八倒していたりする

そうしてこちらが
そんな相手に
「大丈夫だよ。ありがとう」
なんて慰めると
ポロリと涙をこぼして
また
右往左往騒ぎ出す

さぁて、
火のないないところに煙は立たずなんて
諺があるけれど
だいたいにして人間は
火のないところで
煙がたっていると騒いでいる

でも
その騒ぎ事態が
ドラマチックで面白い
恋なんていうものも
その一つかもしれないのだからさ

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本日から<一日一篇の詩>をスタートします。

これは本日の
ホロスコープや数秘を見て、COCOに届いた詩
あるいはその日の朝
なんとなしに降りてきた詩を掲載するものです。
できるだけ毎日掲載しようと思いますが
ちょこちょこお休みもするかと思います。
よろしくお願いします。

2016.09.03

日常にあるスピリチュアル

                                        ⇒2016年後半の12星座運勢はこちら。
私たちには毎日毎秒、宇宙からのメッセージが届けられているという。

その一つが私たちのこの口から発する言葉だと思う。
よく考えて話しなさいとはいうけれど、
実際のところ、
言葉を発するその瞬間に
たとえば、「おはよう」という数秒前に
あ、おはようって言おう…
とか考えてから話すことはあまりない。

ただ、恋愛なんかで
相手のことを意識し始めてしまい
もうあれこれあれこれ考えしまい。
想定して応答しようというケースはあるけれど
大体は、そう考え始めると
自然に応答できなくなり
不自然になってゆく。

なんて答えればいいんだろう、とか考えてしまい
そうするとフリーズするなんてことも

それでも想定して想定したうえで
のびのび応答する人もいるだろうけれど
そういう場合は
実際に応答する瞬間は
「なんて答えよう」なんて考えないで
無意識で応答しているんじゃないだろうか。

もっと前に、
よし、朝は「おはようといおう」と考えていて
そうして朝のおはようの瞬間はもう
言葉が来ている。言葉が来てくれる。

そんなこんなで
つまり、言葉
こうして音として出る言葉

想念もどこかからくるけれど
忘れがたいあのひとを
忘れられなくて苦しんでいるときなんぞは
もう自分の意志でどうにもならないような想念に
悶え苦しんでる人もいたりして

まぁ、いいや、想念はおいといて
今回は言葉に限定しましょう。

とにかく、あらかじめ
想定していようがいまいが

私にはこのはっされる言葉もどこかからやってくるものと思えるのです。

それに
自分の言葉というのは
意外に聞こえていないもの

さみしいさみしい
と言葉にしていても

聞いていないことが多い

そうしてそれがなんかのきっかけで聞こえてくると
「あ、私、さみしいんだ」となる

いや、分かってるんですよ。
さみしいって
言葉にしているのだって分かってる

でもその寂しさが本当には聞こえていない
自分の心が聞こえていない。

カウンセリングでただただ、語らうだけでも
自分にやってくる言葉をただ聞いてくれる人がいて
そうして聞いてくれる人がいると
自分の言葉がよく自分に届いてくるんですね。

そうすると、そこにたくさんのメッセージがあるもんだから
ただ聞いてもらう、語らうだけでも
すっきりしたり、答えが出たりする。

でも日常的にそんなに「ただ聞く」「ただ語る」ということもあまりない。

聞こえているけど聞こえていない。
届いてるけど届かいない
本当に聞こえること
本当に届いてくること

他愛ない自分の言葉、
ひとつひとつ、
意識して聞いてみると。
そこに自分の姿
があるんだろうと思います。

つまり、この私というものはやってきている。
常に言葉とともに到来し続ける

それとね、もう一つはね

あらかじめ思う、考えて
そうしてそれが行動や言葉になるとき。

その瞬間、もうその一秒前とかにね「なんていおう」「おはようっていうぞ、いうぞ」とか
直前に考えるところでなしに
そんな風に発する瞬間に考え出したらもう大抵言葉なんてでないでしょうから。

そうでなく
あらかじめ
「朝はおはようっていおう」って決心しておいて
そうしてそこに意識を置いておくと
その瞬間「おはよう」がこの口からやってくる。

この二つって似ているようで
だいぶん違うんですね。

後者の方は
言葉がやって来る方は
スピリチュアルだと思うんですね。

「え?どこが?」「普通でしょ」って思いますよね。

私はスピリチュアルは普通なことだと思っているんです。
不思議に思えることも
それが起こるということは
ある摂理、自然の摂理があって
その摂理は他愛無い日常の出来事にも行き渡り
不思議な奇跡に思える出来事にも同じ法則がいきわたる

前者は
いうぞ、いうぞとその瞬間考える、何言おうかと考えるとフリーズするとき。
宇宙と切り離されている
(実際は離されなんてしないんですけど、自分から離れたときというか…)

後者のほうは
言葉がやってくる方は
とっても
小さくした引き寄せであり
宇宙の応答の姿だ。

受験で沢山たくさん勉強して
あぁ、本番でそれが出せるんだろうか
どうだろうか、

心配なとき

実際心の奥で
どんなに準備しても
受験のその瞬間、ここにその言葉がやってきてくれるのか
私たちの力ではどうにもならないことを
心の何処かで知っているんですね。

だから
不安。

結局
どんなに準備したところで
最後の最後
本当の一手は
宇宙に委ねられている。

最後はもう
思い切り任せてしまうしかない。

任せられないと
任せてもらえないと
宇宙はどうにもできないんですね。

だからフリーズする。

でも

宇宙ってすごい親切なんですね。

任せれれば
かならず応答してくれる。

任せますって決断さえできれば。

ちゃんと言葉は届けられる。

そういう意味では
試験にしろ
スポーツにしろ

あらゆることがスピリチュアルなんですね。

今日はこんなところ。
こんな言葉がきたようです(笑)

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追記:
ここでいう、宇宙ってなんでしょうね。
宇宙っていてもいいし、
摂理っていってもいいし
精霊っていうこともあるし
守護霊っていうこともある。

まぁ、なんていうのかわからないんですが
私たちをつつむこうした不思議で、
でも、もしかして当たり前な
仕組みの事を私は宇宙と呼んでいます。